ログポース

思ったことをとりあえずメモる。

風林火山

最近、大河ドラマの「風林火山」を見始めました。

 

戦国時代が好きで、いろんな大河ドラマを見てきましたが、風林火山には手をつけておらず。

 

信長の野望から戦国時代が好きになったのですが、武田家は最初から2~3個ほど城を持っているのであまり選ばず、ゆえにちょっと距離が遠いというか、食わず嫌いな感じで見てませんでした。

 

風林火山は武田の家臣、山本勘助の話。

 

軍師の人の話は、なんか憧れがあるというか、策を練って、頭で勝つ。

なにかPRプランニングと同じような想いというか親近感がわきます。

 

その中で、タイトルにもなっている「風林火山」を30歳からの軸にしようと思いました。

 

其疾如風
其徐如林
侵掠如火
不動如山
難知如陰
動如雷霆

 

その疾(はや)きこと風のごとく
その徐(しずか)なること林のごとく
侵掠(しんりゃく)すること火のごとく
動かざること山のごとく
知りがたきこと陰のごとく
動くこと雷霆のごとし

 

今も昔も考え方は変わらない、ビジネスもプライベートも「風林火山」の心で突き進んでいこうと思っています。

 

 

 

 

 

 

30歳の節目から

突然だが、もうすぐ20代という10年間を終え、30代という10年を迎えようとしている。

 

20代は、あまり自分のことを記録してこなかったが、最近「あれ?なんだったっけ」と忘れることも多くなってきたため、ブログという形で自分のことを残していこうと思い立った。

 

この10年間はかなり濃い時間を過ごした。

 

20歳の頃に初めて彼女ができて、当時は大学生で、相手はフリーターの2つ上の女性だった。ずっと一緒にいたいぜ、結婚するぜ!と周りが見えなくて、彼女の家に家出と言う形で転がり込んだ。しかし、お互いフリーターということもあって、月収は合わせて14万円。6万円ぐらいの家に住んでいたので、ご飯とおかず一品だけ。お腹がすいたらスーパーで100円のビスケットを買ってきて空腹をしのいでいた。

 

しかし、みるみる痩せていき、もう限界に達していたので「働こう」と決めて大手の求人広告会社に100分の1の確率で運良く入ることができた。

 

入ることができなかったら、その後の人生も大きく変わっていたのだろうと今になっては思うが、そこで3年半契約社員として営業の基礎を叩き込まれた。20歳から23歳の出来事だ。

 

入社してから、数か月後に彼女と別れることになるのだが、その時周りの環境にも恵まれていて、いい先輩たちに囲まれて社会人として、お客さんとの付き合い方、仕事の考え方などもかなり影響を受けて、ベースが出来上がった時期に思える。

 

それから、契約満期になった時に社員の話も出たが、たびたび研修で行っていた時に感じた「東京っていろんな人がいて面白い、もっといろんな人から刺激を受けたい」という気持ちから、東京に行こうと決めて、かつその時はiPhoneが出てき始めて、mixiからFacebookなどのソーシャルメディアが台頭してきている時代で、大手の求人広告会社もWEBの採用商品などを出していたタイミングで、「ITと広告」この分野で勝負しようと自分の中で決めて、転職先を探していた。

 

そこで転機だったのは、もともと大手の求人広告会社で一緒だった先輩が東京のベンチャー企業で働き始めていて、そこでたまたま誘われたことだった。

 

そこは、各出版社などがマスだけではなく、WEBメディアも立ち上げねばと思っているところに、WEBメディアの運用方法とそのメディアの広告を取ってくる営業代行を行っている会社で、コンビニによく置いてある週刊雑誌の担当になった。

 

そこでも、編集部の方々に可愛がってもらい、最初は売り上げが0だったものの、1ヶ月後には少しずつ数字が作れるようになってきて、最高で11か月連続達成という好成績を残すことができたし、仕事を通じてWEBメディアの虜になっていった。

 

しかし、誘ってくれた先輩が辞めることになり、社長との反りも合わず、あるタイミングでインフルエンザにかかって家で休んでいたら、「このままでいいのだろうか」という気持ちになってきて、20歳のころから憧れていた会社のグループで、かつWEBメディアに関われる”PR”の仕事をやりたいと思い、転職活動を始めたのが25歳。

 

WEBメディアの営業先の一つとして大手のPR会社の人と仲良くしていのだが、その人がイベントを仕切っている姿を見て、「超カッコいい」と思ったのと、「より多くのWEBメディアに携わることができる」というささいな気持ちからだった。

 

人が動く時、よく考えた時よりも、ふとしたキッカケで本能的に動く方がうまく行く気がする。

 

そして、面接していただくことができ、業務委託契約で様子見という形で、周りの反応は「辞めといたほうがいいよ」という反応だったが本能のままに入社した。

 

大手求人広告会社でも西日本で新規王という新規開拓で1位になったことがあったし、ベンチャーでは11か月連続で達成したりと、自分には営業の才能があると過信していたから自信があったというのもある。

 

しかし、売れない日々が8か月続く。全然売れない。何をやっても売れないのだ。そして、とうとう「次月見て、売れなかったらお互いハッピーじゃないから契約見直そうか」と言われることとなった。

 

もう、ここまでか。自分が甘かった。と思いながら、当時彼女と同棲していたので、転職活動もしながら、「最後に成果を出して辞める、このまま終わりたくない」という逆境に燃えて、営業のスタイルからやり方を変えて、動き始めた。

 

そうすると不思議なもので、数字が作れるようになってきて、しまいには半年後にMVPをいただき、正社員の採用が決まったと同時にチーフプランナーへの昇格となるということが起きた。

 

人生何があるか分からない。

 

そして、彼女にもプロポーズをしておそらく人生の折れ線グラフ的にはかなり絶頂だったと思われる。

 

が、いろいろな理由があり、彼女との結婚は破棄となって、今は広い家の中で一人で暮らしている。泣いたし、つらかったし、今でも時々思い出して嫌になる。しかし、丁度マネージャーに昇格し、初めての部下ができた。

 

今まで頭の中が彼女のことで埋め尽くされていて、彼女との破談のことを考えていて、という状況から部下のことで頭がいっぱいになった。

 

今まで俺が先輩に受けてきたように、俺が先輩に助けられたように、そしてそれが元で仕事に置いてはうまくいっているように部下にも同じ思いをしてほしい、仕事を楽しいと思ってほしい、そんな気持ちでマネージャーに就いてからもう1年が経った。

 

人生は山あり、谷ありという。

 

いいことだけ起き続けないのも人生だし、逆に悪いことだけが起き続けないのも人生だと思う。

 

29歳と11か月目の今、折れ線グラフでいうところの”谷”の部分にいる気がしてならないのだが、次”山”の部分が来ると思うと、少し楽しみでならない。